by mi8_bluesnow
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2015年 12月 31日
一年最後の日を、二人で過ごしています。
正確には、あと何か月かで、この世の中に出てくる子と、三人で。 本当は・・・、賑やかな街に出て行って、一年の色んな出来事を、自分の身から出来事ごと振り払ってしまいたいような気分で、朝からずっと、そわそわ。 買い物に行って、蕎麦を食べて、テレビを見ながら。 あ、ブログの写真を撮りに行ってくるよ。 ひとりの時間を欲する気持ちは、長年そのように暮らしてきた馴染みなのか。 近所の高台から、遠くに街が見えます。 この街にやってきて、今日で丸5年。関西弁も少しは板についてきたのでしょうか。 家から近い、お寺の門。 もうすぐ除夜の鐘が聞こえ、人もたくさんお参りに来そうです。 参道の石畳。 お寺がある街で育った僕は、こんな感じが大好きです。 どこにも根付くことができず、転々としていたとき、それらの街を出ていったのは、いつも年末。 いつか、いつか。 夢を抱いて、なんとか頑張って行こうと思っても、コントロールできないギャンブルが足もとをすくい、それを何とかしようと行動を起こす事も無かった僕は、いつだってアパートのものを全て捨てて、小さなバッグ一つで遠い街へ逃げるように行きました。 回復をはじめて、でも、自分に自信が全く無くって、 そんな自分が奈良に来て、圧倒されるような荒波を進んでいくなかで、 かつて諦めていた事が、ひとつひとつ現実のものとなりました。 そして、僕のとなりにいる嫁さんのお腹には、子どもがいる。 期待、希望、不安、恐れ。 大人になるという事は、どんなことなんだろうか。 親になるという事は、どんなことなんだろうか。 そんな事を、2度目の本厄が終わろうとしている男が言っている。 自分に何が出来るんだよ。 子どもに何を渡すことが出来るんだよ。 こんな人間が。 今年ほど、自分ってなんだろう、という事を深く考えたことは無かった。 それは、依存症回復の過程で初めて12ステップに取り組んだ時なんかと比べ物にならないほどだった。 これが、生きるということなのかもしれない。 何が出来るか、何を渡せるかじゃなくって、 自分という人間がどうあるか、その有り様が大切なんだという事に気づいた。 僕の考え方、なんで依存症になったのか、生き方は、そして今は? ずっと、縛られてきた。 がんじがらめになっていた。 抜け出すために、僕は決断した。 「赦していいこともあるけれど、赦さなくていいこともある。」 自分は過去、様々な問題を起こした。その為に人を深く傷つけた。 そのことは変えられない。 しかし、だからと言って、過去に自分が傷ついたこと、あの時はそう感じられなかったけど実は傷ついていたのだという、幾つもの出来事が有耶無耶になる訳ではない。 自分の問題と引き換えに、相手からされた事を帳消しにする必要はない。 そこを、きちんと線引きすること。分けて考えること。 その向こう側に、真の赦しがある。 子どもがやってきた秋から、僕は自分の為の取組みをした。 僕は、僕の問題にケリをつける。 子どもに、同じような思いをさせたくない。 子どもがどうあるか、ではなく、自分がどうあるかだ。 今年の漢字は「安」だった。 「安」じゃないのは、外側の問題ではなく、自分の捉え方。 自分の事ができて初めて、周りも、家族も安心して過ごせるんじゃないか。 未熟だ。成長したい。 ギャンブルを止めて、もうすぐ10年。 ずっと、僕の課題は成長する事だったし、これからもそれは続くだろう。 苦しい、しんどい、逃げたい、消えたい。 でも、僕は、この道をゆく。 それは、僕の周りに最高のロールモデルが居て、最高の仲間がいて、最高の嫁さんがいて、最高のお腹のなかの子どもがいるからだ。 この一年、近くに、遠くに、僕を見守って頂き有難うございました。 皆さんにとって、来たるべき新しい年が、素晴らしくありますように。 ありがとう!!!!!! #
by mi8_bluesnow
| 2015-12-31 23:55
| 日記
2015年 06月 23日
梅雨の合間の夕暮れ、火曜日。 あの時、どんな気持ちで眺めていたのか。 いや、空を眺めて、何かを想う事なんか、あの頃は。 9年前の、きょう。 いつもと同じように、出社し、仕事をして、 定時に会社を飛び出て、そして、いつものように、 ギャンブルをして、終バスのギリギリまで酒を飲んで、 あぁ、どうせタクシーで帰るからいいや。 いつものパターンが、断たれた、あの日の夕暮どき。 そんなパターンを、僕は会社の金を使い込み、 そんな事を、誰にも言わず、続けていた、その終わり。 「ちょっと、会議室に来てもらえないか。」 また、同じ事を繰り返している。 その前の会社も、更にその前の会社も。 他の人なら、単なる遊びで、単なるほろ酔いで済んでいたことを、 僕は、何度も、同じ罪を繰り返してもなお、続けていた。 上司から呼び出される、その言葉。 バカか。俺はバカか。何やってるんだ。 家族が駆けつける。 凍りついた表情。 この会社に入る前に、僕は両親に約束した。 同じ事はもう繰り返さない。 今までは壊す事ばかりやってきた。けれど、これからは造ることをするから。 今度こそ、信じてほしい。 その言葉から、どれくらいも時間が経っていない、この日。 親が殴りかかる。そして叫ぶ。 僕はうな垂れる。 「頼む、死んでくれ。人のものを盗る勇気があるなら、死ぬ勇気もあるだろ。」 分かったよ、死んでやるよ。 止めようとする母を玄関で突き飛ばして家を出て近所の川へ駆けて流れの前に立つ ・・・、 暗い中、 黒々とした流れを、呆然と眺めるしか出来なかった、死ねなかった。 眺めながら思い出すのは、ずっと前に一度だけ行ったクリニックの先生の言葉。 あなたは依存症ですよ。 このままだと、自殺するか、刑務所に行くか、どっちかですよ。 あぁ、似たような感じになったな。 でも、全然分からなかった。 頭の中にはこれっぽっちも、どうすればいいかなんて考えは、無かった。 数日後、仕事を探そうとしていた僕に、 「何をやっているんだ。仕事して、また人の物盗るのか。一生仕事するな。」 そう母に言われた時、僕はどうにもならず、爆発した。 いま思えば、甘えた話だけれど、 それがきっかけで、僕は、止めて生きる方向へと進むことができた。 9年後。 今日。 親に電話をした。 仕事を持ち、家庭を持ち、今があるのは、 父が、母が、妹が、弟が、 僕にきっかけを与えてくれたからだ。 「色々あったけど、今が幸せなら、それで良かったと思うよ。」 母の言葉に、9年間の道のりを想う。 僕は、どうしても、自分を適正に評価できない。 だって、まだ出来ていない事が、山ほどあって、 考えかたも幼く、しょうもない感じの中年男で。 けれどね。 でも、歩いてこれたよ。歩いてきたんだよ。 汗まみれ、泥まみれ、やっと歩いてきたんだ。 カッコなんて良くないけどね、 だけど、リアルな世界に身を置いて、自分の足で歩いてきたんだ。 僕は、確かに、いま。 自分の人生をつくりあげようとしている。 大きな目標を掲げて、人のせいにしない、自分の人生に向き合っている。 恥ずかしげもなく、でかい目標を掲げている。 いいんだ。僕の人生だから。 ファンタジーじゃないから、コビトがやってくれる訳じゃないから。 日々、自分で、ひとつずつ積み重ねる。 その結果。 考えもしなかった「未来」に出会えている。 止めはじめた、あの時。 1年目、2年目。 立ち枯れしそうになった時に、出会った仲間。 3年目、4年目。 初めて知った自由を分かち合った、仲間。 5年目、6年目、7年目、8年目 僕に無限の可能性を教えてくれ、引っ張ってくれた、仲間。 そして、これ以上ないという、出会いが与えられ、結ばれて、 ふりかえると、9年。 いま、幸せだ。 猛烈なプレッシャーの中で、磨かれ、時にへこんで。 家庭で、職場で、責任ある人生を歩む毎日。 そんな自分が、好きだ。 そして、もっと成長したいし、この生き方はそれを可能にする。 上っ面の言葉ではなく、自己正当化で自己弁護の言葉で生きるのでなく、 自分をもっとさらけだして生きる、という真実を手に、僕は進む。 分ち合おう。 この幸せを。 そして、僕の存在が、誰かの幸せに繋がりますように。 神様。 ありがとう!!!!!!!!! #
by mi8_bluesnow
| 2015-06-23 22:04
| 日記
2015年 05月 05日
やおら、キーボードを叩きはじめる、火曜日。 何かを、画面上に放り込みたくなった。 そう、その瞬間・・・。 洗面台でひげを剃っているとき、 チャリンコに乗って職場へ行く道、帰る道、 デスクワークの最中、 トイレットペーパーをカラカラさせるその時、 どこかへ出かけるホームの上で、 飯を食べる途中、 風呂に入って、歯を磨いて、さあ寝ようとベッドに入る、 その、何ともない、一瞬に、出る。 出た。 「あぁ」という声。 ため息ともつかない、悲鳴でもない、オネエでもない、声。 自分ではよく分かっている。 そんな自分が嫌で、脱皮したくってたまらずに出る声だ。 脳みそは、よく分からない。 過去の、つい最近の、 そんな自分が嫌だと思える瞬間を切り取って、再放映する。 再放映の中の自分は、大体、未熟だ。 幼い自分を見せたくなくって、懸命に取り繕って、でも内面は幼くて、 結局ぼろが出ている、 そう、その瞬間。 嫌なんだよ。 そんな、あほらしい自分が、さ。 人に、その瞬間を見て、自分に重ね合わせて、 やっぱり自分もか・・・と思うと、余計に。 取り繕わずに、そのままでいいじゃないか。 取り繕わず、土台がしっかりした、成熟した、 そんな生き方がいい。 いまの幼さを、精一杯抱き留めて、 恥ずかしがらずに、歩きたい。 ありがとう。 #
by mi8_bluesnow
| 2015-05-05 23:59
| 日記
2014年 12月 31日
大みそか。
自分の性格の、おもしろさ。 嫌な事、隠したい事、恥ずかしい事が有れば、 トカゲのしっぽ切りのように、 テレビゲームのリセットボタンを押すかのように、 「バツン」と過去と今を遮断するのに。 12番目の月の、最後の日という、 ただ、それだけの日から、次の日へと、 過去と今を分ける事に、とてつもない不安を覚える、 今日という日。 あれもやり残した。 これもまだまだ・・・。 「バツン」といけない、自身の性格を。 それでも、朝から、部屋を、風呂場を、トイレを掃除し、 玄関のドアを拭きながら思ったのは、 こうして、どこかで区切りをつけようとしているのだという、 この年の、終わりの日。 自身で、区切りを付けて、 自身で、次へと進まないと、どうしようもない。 誰の人生だ? 自分の人生を、やっとの事で歩める、 この年の、終わりの日。 今年の春にオープンした、あべのハルカス。 高い建物が無い街なかを、極端な直線。 隣をチン電が走る街なかを、無理くり外行きの服を来た感じの建物。 そのチグハグ感に、共感を覚える。 そして、大みそか、 人のいない、近所の駅。 この街に、暮らす。 ひとりではなく、ふたりで。 ふたりで掃除をして、 ふたりで食事をして、 ふたりで年末のお笑いを見て、 ふたりで帰って、 ふたりで迎える、新しい年、 ひとりでは、考えられないことだらけ。 決心して、 お互いに決心し合って、 ふたりで、色んな事を考える。 色んなひとに、支えられながら。 今年を表す漢字一文字は、「税」。 困った使われ方は嫌だけど、 自分の差し出した何かが、誰かの支えになるんだろう。 自分で、何もかも取り仕切っていた、 自分で、何だってやっていた、 どこか勘違いしていた、あの時は、 孤独だった。 孤独に慣れ過ぎて、 寂しさを、あたりまえのように感じ、 皮肉っぽく世の中をみつめ、 その歪みを、ギャンブルや酒で癒そうとしていたとき。 周りは僕に、様々な形で手を差し伸べていてくれたのに、 僕は、気づく事が出来なかった。 くやしい。本当に、バカだ。 けれど、大きな壁に当たり、どん底に落ちようとしていたさなか、 気付く事ができた。 救われた。 その救われた感を、 同じ苦しみを持つ人と共有したい。 少しは、支えになっているんだろうか。 僕自身が、支えられている。 その支えられているなかで、 僕は、家族をもち、 彼女に何かを差しだし、 僕も、彼女から差し出された何かで、 支えられている。 そんな思いがあれば、 もう、僕は、生きて行ける。 2014年が、まもなく、終わります。 どこかの場所で出会った、あなたに、ありがとう。 そして、この拙いブログを読んで頂き、ありがとう。 あなたから差し出された、何かで、僕は生きています。 僕も、あなたにとって、そうありたい。 神様、 ありがとう!!!!!! #
by mi8_bluesnow
| 2014-12-31 23:51
| 日記
2014年 06月 23日
月曜日。 ギャンブルとお酒を止め、今日で丸8年経ちました。 毎日大変です。・・・この時間もガンガン仕事です。 大変だけど、その言葉の意味、あの頃と今では全く違う。 誇りを持ち、今を生きる事。 それが出来るのは、あの頃の経験が有ったからこそ。 そして、あの頃の、あの事があってもなお、 愛をもって接してくれた、家族、友人、当時の同僚・・・。 回復につながり、出会ったすべての人。 僕のスポンサー。 スポンシー。 仲間たち。 そう。 今を生きる事が出来るのは、 その多くの人たちのおかげ。 そして、 今を生きる、その道の途中で出会い、 僕を愛し、支えてくれる、妻。 だから、僕は、歩むことができる。 だから僕は、今、幸せ。 そして、 そのように、 僕の行く方向を、絶えず指し示してくれている存在。 全ての物事を通し、その存在に気づかせてくれた。 長い時間だった。 僕は、絶対に忘れない。 全ての物事を通し、いまが有るという事を。 ありがとう。 ギャンブルとお酒を止め、 生きる事ができて、良かった。 僕は、チャレンジしつづけます。 机上の回復、言葉だけが空回りする回復なんか、嫌だ。 怖くても、尻込みしそうでも、言い訳して逃げそうになっても、 目の前の困難に、ぶつかり続ける。 熱く、熱く、人生を歩みたい。 今日一日、 生きて生きて生きて生きて、生きまくる。 回復は、無限大。 ありがとう!!!!!!!! #
by mi8_bluesnow
| 2014-06-23 23:56
| 日記
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