by mi8_bluesnow
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2010年 08月 15日
戦いが終わった日、日曜日。
ある段階で、戦いを終わらせるべく、決心があった事。 その決心があり、いまが有る、という事。 いま僕がここにいるというのも、それと何か繋がりがあるようで。 その僕も4年前、そして1年半前に、闘いを止めました。 ギャンブルやアルコールとの闘い。 ギャンブルやアルコールを止めた後の、闘い。 それらに終止符を打つ事ができ、 そして、やるべき過程を経て、再び世の中へ戻る事ができた。 自分のチカラでは無かったと、思ってます。 疲れ果ててもなお、僕はファイティングポーズを取り続けていた。 そんな僕に、握りこぶしをおろす心地よさを教えてくれたのは、 自分では無い、なにか大きなチカラの働きでした。 イチバン大切な本。 『闘うにつれ、自分のやり方を通そうとするにつれ、事態はどんどん悪くなった。 戦争と同じで、勝者は勝ったように見えるだけなのだ。 私たちは勝っても、その時間は長続きしなかった。』 這いつくばるか、這いつくばらせるか。上か、下か。 そんな事を、僕は子供の時から、延々と続けてきた。 真ん中が、すっぽり抜けていた。 人間関係に限らず、自分の生き方全てが、そうだった。 闘いを止めても、実は、握りこぶしはそのままだったけど、 埋め合わせのステップを経る中、すっぽり抜けていた部分に、 ひとり、ふたりと、人が増えてきた。 生まれて初めて、友達という言葉、フラットな人間関係の意味が分かった。 グーになっていた手が、開き、握手をした。 午後、仲間達と一緒に、東京へ。 ギャンブラー本人と、家族たちのグループの合同セミナー。 ビックリするくらいの人数。 僕のココロの中に、闘いモード発生。 しかし、それは、今回のセミナーのメンバーたちの行動の賜物。 輪がどんどん広がってゆく、まさに「これで、いいのだ。」的、状況。 モード、終了。 僕も、仲間と共に、出来る事からやっていこうと思った。 帰りの電車の中で、グループの仲間も同じ事を言っていた。 セミナー会場の外では、子供たちの遊ぶ姿。 一緒になって遊ぶ、ギャンブラー本人である父親、それを見守る母親。 僕は、家族のグループの仲間と、一緒に行動させてもらうようになってから、 こんな光景を幾度となく、見させてもらっている。 人によって捉え方は違うと思うし、ギャンブラーのいる家庭環境は様々。 「あの光景っていいなぁ」と、僕は、思う。 もちろん、羨ましさはある。僕も、将来は・・・って思いも、正直、ある。 ただ、最近は、違った思いもある。 それは、その人たちに与えられている状況なんだ、と。 僕が、いま置かれている状況には、意味があるんだ。 ・・・精一杯やっているだろうか? ゆだねる事。自分の理解する神様の意思に自分をシンクロさせるよう。 その結果は、たとえ、自分の思いとは違っても、その途で精一杯生きる自分。 闘わない、自分。 ありがとう!!!!!
by mi8_bluesnow
| 2010-08-15 23:59
| 日記
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