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2009年 09月 06日
夏が少し戻ったような、日曜日。
夜は、スポンシーと‘金銭の埋め合わせ’の取り組み方について、 イチバン大切な本をお互い読みながら、確認しました。 「金銭問題」 ギャンブルに問題を持つ人とアルコールに問題を持つ人では、 すごく分かりやすい点で、額が違います。あと、借金の箇所数。 ステップを手渡してもらう前、イチバン大切な本を流し読みしたくらいの時点で、 「でも、借金の額が違うしねぇ・・・。」そう、感じました。 しかし、実際にステップ9で金銭の埋め合わせや埋め合わせの約束をやった時、 その不安は、全く見当違いだったと実感しました。 そもそも僕は間違っていた。金を返す事が直接の目的では無い。 直接会って、自分の欠点について謝罪し、その上での金銭の埋め合わせ。 見た目が派手な、金銭の埋め合わせで、僕が苦し紛れの大風呂敷を広げても、 それは、相手に「分かって欲しい。許して欲しい。」という欠点の押し付けに過ぎない。 あくまで、‘神と自分のまわりの人達に対して出来る限りの奉仕ができるように、 自分を捧げること・・・’というスタンスを守ることで、いくら桁違いの借金であろうと、 更に、実際の返済やその約束が必要な相手や団体が多岐にわたろうとも、 自分の状況を率直に話し、現実的な約束ができ、それを続けていく事が出来る。 この本は、強迫的ギャンブラーにも、普通に使える。・・・だから使っているんだけど。 埋め合わせのステップでも感じさせてもらったんだけど、 僕は、やっぱり、何らかの反応というか見返りを欲しがっていた。 だから、先ほどの「自分を捧げる事」だとか、ステップ3や7の祈りは、 初めのうちは、全くピンと来なかった。それもそのはず、やった事が無かったから。 経験をスポンシーに手渡すようになり、イチバン大切な本を読み返したり、 自分のスケジュールの確認をしたり、準備をしていた時の事。 フッと自分自身が持ち上げられる感覚がやってきた。 たぶん、今までに無かった幸せな感覚。涙が出た。 「ありがとう。」それしか、言葉が出なかった。 それだけに限らない。 自分の経験を、手渡されたステップをそのまま、次の仲間に捧げた。 そうしたら、その仲間が、「凄いです!本に書かれている事と同じです。」 こんな、幸せな気持ち、闘っている時には、全く縁の無かったものだった。 表現が難しい。 自分が幸せになること。・・・僕はずっと、これが真っ先に来ていた。 だけどその結果、そんな時の自分は、ほとんど満たされなかった。 自分を神に、自助グループの仲間に、職場の人に、プライベートの仲間に、 自分を捧げる事。・・・これを真っ先に据えたら、その向こうに幸せがあった。 ゴスペルクワイアの話。 結局僕は、自分の為に歌っていた。だから、ピンと来なくて当たり前だった。 僕が利用していた施設のメンバーも参加したライブでのソロ。 ピアノの前奏。 「僕を捧げます。あなたの平和の道具として、私をお使い下さい。」 コーラスで支えてくれるメンバーの顔を見て、心を合わせ、歌った。 心を寄り添わせる事の心地よさ、幸せ。僕はもう、ひとりでは無い。 ライブの後、ピアノの演奏をしていたリーダーと話をした。 「こう言うのも、メッセージだよね。」 ゴスペルを通して、希望を届けさせてもらえる。 心を合わせて、ひとつに寄り添わせて、大きな力のメッセージを届ける。 生きる喜び。 ありがとう!!!! ■
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by mi8_bluesnow
| 2009-09-06 23:58
| 日記
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