by mi8_bluesnow
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2010年 07月 04日
梨の日、日曜日。
ただし、某芸能リポーターの誕生日ではありません。 いつもながら、ドタバタしながら電車に乗って、午前中はみなとみらい。 イチバン大切な本のサブテキスト的本の読み合わせ会。今回はステップ12。 「しばしば私たちのなかに起きる問題であるが、まだ信じようという気持ちに なっていない人をなんとか信じさせようとすることである。 しかし、これこそその人が自分の手でつかみとらなければならないものである。 自分で苦しみ抜かなければ、その人は自分を変えて、信じようという気持ちにはならない。」 考えてみれば、僕自身も同じでした。 ギャンブルを止める事は、できた。 その時も、確かに信じていたんだと思う。 施設や、そこに居る仲間。自助グループの仲間。居れば何とかなる。で、止まった。 しかし、その先にあったのは、それらの人にどう見られるかという不安、恐れ。 他の仲間たちより回復したいと、表面上の出来事にとらわれていく。 自分で、何とかするんだ。 その考えは、ギャンブル真っ最中、それ以前からずっと続くものだった。 ミーティングで12ステップの文章を読むが、大きなチカラとか、ハイヤーパワーとか、 自分の理解する神様とか、全くと言っていいほど、ピンと来なかった。 そりゃあ、仕方がない。ピンと来るはずがない。今なら分かる。 しかるべきスタートを切って、その立ち位置からステップを進める中、感じ取れるもの。 それを、何もやっていないのに、ピンと来るわけが無かった。 僕の場合、神様の概念は、細くもろいものだった。 ギャンブル真っ最中に良く祈った。 「今日こそ、なんとか勝たせて下さい!」「今日は、警察に捕まりませんように。」 思いどおりなんか、ならなかった。 ギャンブルをやらない生活に入って、神と言う言葉を聞くたびに・・・、 「いるのか、いないのか、そんなのどうだっていいや。自分でやるよ。」 その結果。ギャンブルを止めていながらも、生きる事に行き詰った。 そんなボロボロの状態の時に、出会った、アルコールのヤンググループの仲間達。 いやぁ、僕の中の「回復」という言葉が覆された。 その時の僕は、「何かができた事」をやたら強調していた。 仕事をクビになって無い。あれを買った。あそこに行った。今度はあの資格に挑戦・・・。 顔はニコニコ。しかし引きつっていたと思う。 オレだって、ステップやってる!!平安の場であるはずのミーティングが、闘いの場。 しかし、ヤングの仲間達は、スッキリしていた。身軽だった。 その半年後、どうにもならなくなって、経験者にお願いしてステップを手渡してもらう。 誰かに「ミヤーン、やりなよ!」って言われた事は、全く無い。 ステップ2で、信じる気持ちになったか?その意欲はあるか?と問われる。 その時、僕の頭に浮かんだのは、ヤングの仲間達の姿。変わりよう。 「はい、信じる気持ちはあります。」 たった、それだけ。それだけしか信じられなかった。しかし、そこから始まった。 ステップを経る中で、イチバン大切な本に書かれているフレーズに、共感できた。 「これは、うまくいく。」本当だ、これでいいんだ、ありがとう! もう、取り繕う事は無い。 あの時、僕がステップを手渡してもらうのと、似たキッカケで、新しい仲間がやってくる。 「あのー、ステップ手渡してほしいんですけど。」 色んな機会を通じ、ステップを経る中与えられた新しい生き方を分かち合わせてもらう。 これだけしかない!とは、言わない。 色んなやり方が、現にある。 そもそも、自助グループや施設へ通わずに止めている人もいるだろうし、 ステップと言う道具を使わずして、何かの出来事で目覚める人もいるだろう。 ステップを伝える手段だって、幾つもある。 様々あるなか、しかし、僕が言える事は、限られている。 そして、その言える事は、僕は、自信を持って伝える事ができる。 なぜなら、僕が体験して、実際にやってみて、感じたからだ。 まず僕が、自分で「いいなぁ~。」と感じているやり方・・・ステップを実践する事。 やるべき事がキチンと出来ているならば、「やりなよ!」って言わなくてもいいのだろう。 雰囲気、態度に出てくる。 取り繕う事をしなくっても、それは出てくる。 あの時、ヤングの仲間達が示してくれた、心の底からにじみ出る、幸せな姿。 自分は、変えられる。 ありがとう!!!!!
by mi8_bluesnow
| 2010-07-04 23:57
| 日記
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